みなさん、おはようございます。
Techouseの組織屋佐山です。
インターン生比率90%、
若く、楽しく、そしてシュールなTechouseの中身をご紹介。
#3: 営業インターン生 市村孝輔
大学1年生時の2013年5月にインターン生として入社。
以降、途中離脱を2回、留年1回を重ねつつ、2018年まで5年間にわたりJEEK営業部に関わる。
今春晴れて卒業してディップ株式会社に就職。
今日は市村さんの5年間のインターン生活を振り返る。
<Techouse5年間の思い出>
入社時(2013年:1年生5月)の市村
市村:
そうですね。
Techouseに入った頃の僕は、人の目も見れないような奴だった。
まさか営業をやるとも思ってなかったし。
佐山:
ん?
市村:
本当はJEEKを使って別の会社の企画職を応募していた。
職種は自分ができないものを消去法で消していって、「エンジニアできない、営業できない、じゃあ企画?」みたいな感じ。
でちょうどそのタイミングでTechouseからもスカウトメールをもらった。
その時の自分はそれで混乱してしまって、自分がその時面接を受けに行った会社がそもそもTechouseなのかもう一社だったのかも分からず。
で、やっぱり面接でも目も見れず。
なんで採用されたか分かんないんですけど。
佐山:
というか、なんでその流れで営業になったんですか?
市村:
いやー、それが、どう答えるか悩んでいたら、「営業やる?」「はい、やります」
で、営業をやることになってしまった。
その次の日から営業に同行させられて、
5社ぐらい磯辺さん(社長)の営業とか見た。
で、その後オフィスで企業さんのメール対応してたら、ガラの悪そうな会社から連絡きて、
「市村行ってきて」って。
そこが僕の初アポ。
で、次は先輩が
「俺スーツ忘れたから、市村行ってきて」
って行かされたのが2回目のアポ、
その次がいきなりyahooの子会社。
そこに一人で放り込まれた。
その3社が全部たまたま掲載が獲れた。
それが僕の営業のスタートです。
佐山:
そこで営業やらなかったら、
今市村さんは何やってたんでしょうね?
市村:
人生終わっていたかもしれない。
少なくともTechouseじゃなかったら営業やらせてもらえるということはなかったでしょうね。
多分ずっと人の目の見れないやつで、一応その頃からパソコンはできたから、ライターとか細々やっていたかもしれない。
あ、でもそれ以降は普通にやってきた。
あと、いろんな大人を見れたのもよかった。
戸塚さんとか、岩崎さん(いずれも元社員)とか、小俣さん(現執行役員)とか。
佐山:
普通?
5年間で、途中で2回Techouse辞めたんですよね?
市村:
そうですね。
その間に2社他のインターンをやった。
一社目は規模も大きいかったので、アルバイトみたいな感じだった。
求人のタイトルは「新規事業立ち上げ」で、今度こそ企画ができる、と思っていったら、もうほとんど事業の流れは既に決まっていて、仕事は「不動産の写真撮ってこい」。
自分、Excelできたんでうまく効率的にまとめたりしていたけど、これは自分のやりたいことと違うと思って2か月で辞めた。
もう一社目は打って変わって営業をやり続けた。就活イベント行って、大手企業の名刺もらって、アポに行く。そこは10か月ぐらい続けた。
で、そうやっていろいろみれた結果、Techouseの良さというのにあらためて気付きましたね。
佐山:
うん?
じゃあ「Techouseの良さ」って何なんですか?
市村:
なんだろう。
「信頼して任せてもらえる」?
2社目は10か月ぐらい営業やり続けたけど、でも、大きな仕事が来たら社長が「俺がやる」といって出てくる。
佐山:
普通そういうもんでしょう。
市村:
いや、そうなんですけど、
これだと成長ないな、と思っていたときに、ちょうどそこに露木(元JEEK事業責任者)が来てTechouseの思い出話をして、
「ああ、Techouseだったらそういう仕事も自分にガンガン来てたんだよな。
で、ちゃんと任せてもらえた。」
で、Techouseに戻ろうと思った。
結果的に戻ってきたんですけど、
でも、そうやって一回外に出てみたからこそ、
自分がどういう職場を求めているかという基準が見えた気がする。
外に出て結果的にTechouseの良さが分かった。
一度目の離脱: 1年生夏の市村
佐山:
今のって2回目に辞めたときの話ですよね?
一回目に辞めたときはどうだったんですか?
市村:
一回目は1年の夏。
で、やめた後半年ぐらいずっとグダグダの生活していて、リズムがぐちゃぐちゃ。 夕方4時寝、12時起きみたいな訳の分からない状態。
年末に郵便局の仕分けのバイトをした。
その時にふと、「これやばい、インターン戻らないといけない」と思っていた時に、露木か磯辺さんから連絡がきて、で、一緒にカフェ行く機会があって、Techouseに戻った。
一年生の冬ですね。
佐山:
インターンやってなくても学校の講義はあるんじゃ?
市村:
いや、学校は週2だったんで、それ以外は暇。
週2しか大学の予定がない。
すると朝に起きる意味がない。
しかも1年生の4月からインターン始めちゃったんで、大学に友達いない。
インターン先も「友達」とかそういう感じじゃない。
佐山:
まあ、確かにサークルは後からだと入りにくいですもんね。
というか、なんで1年頭からインターン始めようと思ったんですか?
市村:
当時の俺は意識が高かった。
当時村上太一が史上最年少上場して、
むっちゃ格好いいと思った。
でも自分はまだ18歳だから、今から7年ぐらいやれば最年少上場できる。って本気で思っていて、で、バカだから周囲に言いふらしていた。
で、実際やってみろ、って言われて、じゃあやってやるよ、と思ってインターンを始めることにした。
・・・
はい、ただのバカでしたね。
今考えればどう考えても俺には村上太一は無理でした。
そう、
でもつまり元々は起業志望です。
佐山:
ちなみに、一回目に辞めたのは何でですか?
きつかったから?
市村:
そう。
むっっっちゃきつかった。
当時は創業2年目で、まだ部署という概念がなかったから、昼間は営業やって、夕方は学生に対してキャリアアドバイザーやって、夜に求人記事作成やって、
で、終電で帰る。
あと、一回学生を集客してのイベントを開催して、
そのイベントが本当にやばくて、
学生を40人集客しないといけない、だけど20人しか集まらなかった。
終電で帰る途中に学生から電話が掛かってきて電話して、
これやばい、続けると自分が持たない、
・・・と思って辞めた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
今思えばあの時が一番きつかった。
きつかったけど、それから仕事がきついと思うことはあまりなくなった。
今の仕事の状況なら、正直キャパが半分ぐらいあまっている。あの1年生の時の経験を通してキャパはすさまじく上がった。
二度目の離脱: 3年生夏の市村
佐山:
二回目抜けたときは何で抜けたんですか?
市村:
結構いろいろ理由が重なった。
一つが営業がマンネリになってきたこと。
あ、あと、人がたくさん辞めた。市村の下に営業部7人ぐらいいたのが全員いなくなる、みたいな。
マネジメントできないとかいうレベルじゃない。当時は僕が全部背負いこんでやっちゃってたのがよくなかった。
その時は大型イベントを開こうとしていて、運営のせいで、テレアポ3000件必要ということになっていた。
だけど社員と僕は外に営業に行ってしまう、残った7人のインターン生で架電3000件。
佐山:
去年ジョブハウスの立ち上げ時にも、
架電チームを作って電話しまくってましたけど、
3000件だとその比ではないですね。
市村:
去年って一日100件とかでしたよね?
2年前のはそのレベルじゃなかった。
一時間50件とか。
とにかく、出社したら2時間架電。
それを毎日掛け続ける。しかもリストがよくなくてほぼ掲載が取れる見込みがない。それを2カ月ひたすら。
さらに夜になったら架電を終了して郵送。
当時ラベル貼る機械がまだなかったので、
ノリで封筒にぺたぺた貼って、で、郵送。
そしたらみんないなくなってしまった。
そして僕もいなくなってしまった。
2度目の復帰: 4年生夏~5年生冬(現在)の市村
佐山:
で、その後他のインターンを一年間やって、
2016年夏に二回目戻ってきた、と。
市村:
そうですね。
今度は戻ってよかった。
戻ってきてむちゃくちゃよかった。
インターンは開始して最初の一か月はぐーんと伸びるが、それ以外では2回目に戻ってきてからの1年半が圧倒的に成長できたと思う。特に去年の夏以降が特に。
自分が何ができて何ができないというのが分かってきて、で、本当の意味での人の育て方も分かって、一緒に働くメンバーもむちゃくちゃよくて、
あと、自分自身どう働けばいいかが分かってきた。
今回は自分がJEEK営業部のマネージャーとしてほとんどすべてを任せてもらった中で、過去3回を振り返ると一番ホワイト。
企業は基本10時~19時に連絡取れればよい。
夜は何もしない。
それは9月ぐらいから意識してホワイトな環境にしていって、そしたらみんな伸び伸び仕事ができるようになった。
今の環境が一番いい。
ホワイトになったからといって、
仕事で得られる経験が減っているわけでもない。
任せてもらえる上にホワイトになった。
最高ですね。
佐山:
それは市村さん体制だから、
JEEK営業部が職場として市村さんカラーだからですよね?
市村:
まあ、確かにそこは僕のカラーですね。
というか、カラーが認められるようになった。
とにかく今が過去で一番いいですね。
新人でもある程度安心してアポに行けるようになって、プランの売り方とかもある程度固まってきて、すごいいい気がしますね。
Techouseという会社(2013~2018)
佐山:
視点を逆にしてみましょうか?
市村さんから見た、Techouseの5年間の変化って何でしょう?「市村さんがどう変わった」ではなくて、「Techouseがどう変わった」という観点で。
市村:
えー、なんだろう。
最初僕が入った頃は、本当に「数値だけ」みたいだった。それが少しずつ人にフォーカスが当たるようになった。
佐山:
「人」って個々のプレイヤーのことですか?
市村:
そう、個々の意思が反映されるようになった。
当時は自分に予定があるとかそんなの関係なかった。「何アポ必要だから、何件電話を掛けないといけない、以上」
「人」という意味では、一回目は露木(同期)ともほとんどしゃべらなかった。最初にインターンしていた4か月ぐらい、ほとんどしゃべっていない。そんな余裕もなかった。
あと「本読め」とかも言われたけど無理。
帰るの終電だし、眠いし。
佐山:
市村さんが入ったころは「とにかく何でもがむしゃらにやれ」という強制環境で、ある意味それがあったから市村さんのキャパシティーが強制的にでも引き上げられたんですよね?
今でも「何でもやらせてもらえる会社」ではあるとは思いますが、一定の分業もあり、そこまでストイックでなくても共存できる会社になりました。
これについては市村さんとしてはどう感じますかね?思うところはあれど、過去のむちゃくちゃなTechouseがあるから今の市村さんがあるんですよね?
市村:
んー、それでいうと、
僕はどちらかといえば専念したい寄りで、
むしろいろんな仕事をやらされるのを削りたかった。
ただ、僕はとにかくインターンがしたかったので、
なんの仕事でもよかった。
・・・
いやー、でもあれは結構しんどかった。
僕もまあまあメンタル強いと思ってたんですけど、高校の時もバスケやったことなかったのに、全国大会にいくバスケ部に入って、最終的に18人の新人の中で5人だけ残った。
メンタルは結構自信があったのに、でも当時のTechouseのプレッシャーは次元が違って、営業でアポに行ってお客さんで「こんにちは」って入っていく時より、夜オフィスに帰ってきたときの方が緊張した。磯辺さんに詰められてコテンパンにされる。
成長はするだろうけど、もう一回その環境にはもう行きたくない。
佐山:
あー、磯辺さんもそういう時代ありましたね。
市村:
今でも他の仕事に手を出そうと思えばいくらでも関われますしね。むしろ強制的にやれと言われた仕事をすべてやらされるしかなかった当時より自由度は増えたんじゃないかな?
いろんな会社に営業行ってて、「インターン生にも裁量権ある」って聞くけど、Techouseは、裁量権とかそういうレベルじゃない。うまく表現できないけど、そういう裁量はしょせん「与えてもらうもの」であって、Techouseでは自分が望めば本当の意味ですべて信頼して任せてもらえる。
能力と自信のある人は全て任せてもらえてどこまでも挑戦できるし、挑戦できる空気がある。
それでいてまだそこまで行っていない人に対しては、全面的にサポートしてもらえる。
「がつがつやる人」と「そうでない人」が自然に共存している。
佐山:
まー、カラーという意味では、
当時は当時で磯辺さんカラーでしたよね。
市村:
いやー、そうですね。
当時のむちゃくちゃさは変わりましたけど、
やっぱりTechouseはTechouseなんだと思いますね。
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次号に続く